第四十一話 凄絶最終決着!! 悲しみの石破天驚拳!!
〜さらば師匠! マスターアジア暁に死す(後編)〜



 それは、壮大な夢だった。
 新鮮な空気が天と地の間を満たし、そこにふさわしい清らかな気配を漂わせている。
 雲ひとつない青空のもと、燦々と大地を照らす陽光を浴びて輝く、大きな湖があった。
 透明な湖面は魚たちが戯れる姿を楽しむことができるほどに澄み渡り、流れる小川は行く先で支流を加えて、大海にまで続いていた。
 そのほとりに広がる森の中に、小高い山のようなものがあった。
 木々は生い茂り、蔦がその周りに幾重にも絡み合い、その巨体をほぼ完全に覆い隠している。
 ガンダムファイトに明け暮れるこの地球上には、もはやどこにも残っていない…… 大自然のもたらす雄大な美しさがそこにあった。
 その風景を座して守り続けるそれを、悪魔と呼ぶ者たちがいた。それも過去の話だ。愚か者共はもうここにはいない。
 小鳥たちが羽根を休めに、山の上に降り立ってくる。中にはそこに巣を作り、幼い雛鳥に餌を運んでいく姿も見える。
 森の動物たちが麓に集まり、体を丸くかがめて寝息を立てる。その安堵の寝顔は、あたかも母親に抱かれる子供のようですらあった。
 そこには、今地球から失われた全てがあった。
 平和、安らぎ、温かみ、そして……自然。
 その穏やかな光景が、地球の至る所に広がっていた。この場所を中心に……ここにある、地上最後の人工物を中心にして。
 それが再び動き出すことはもはやないであろう。再び愚かな人間たちが、この調和の空間を汚そうとしない限りは。
 緑の蔦に覆い尽くされ、小鳥たちの遊び場になっている守護者の名は、かつてアルティメットガンダムと言った。
 今はまだ想像の中にしかないその光景は、一人の男が人生を賭けるに足る、価値ある夢だと言ってよかった。不治の病に冒されていた男の前に現れたのは、天啓であるかのように見えた。
 だが、夢は無惨にも打ち砕かれた。
 飛び交う銃声と爆煙の中、ガンダムから飛び移った男が叫ぶ。
「撃て!! 私と一緒に、デビルガンダムを!!」
 呼ばれた男は、当然それを拒否した。
 できるわけがない。彼らは血を分けた実の兄と、それと同等の繋がりを持った者たちなのだから。
 しかし、彼らは叫び続けた。
「それとも、こんなキョウジのような、悲劇が繰り返されてもいいのかッ……!!」
 東方不敗は、その言葉の意味するところに愕然とした。
 なんという自己中心的な考えであろうか。これは地球の自然にとって、最後の希望、頼みの綱なのだ。それを破壊しようとしていることさえ前代未聞の愚挙、暴挙であるのに、己の一身の苦痛ごときでその大任を投げ出そうというのか。
 これさえあれば地球の自然は蘇るのだ。あと一歩で実現できるところまで迫っているのだ。
 それなのに。たった一人の命で済むのなら、むしろ安いものではないか。
 病魔に冒されてさえいなければ、自分自身が喜んで命を投げ出せたものを。
 だが、何を勘違いしたか、上空のゴッドガンダムは石破天驚拳の構えを取り、デビルガンダムにその手を向けていく。
「やめろぉぉぉぉぉ───っ!!」
 飛び出そうとしたマスターガンダムを、背後から抱きしめるもう一機のガンダムがあった。
 悪気はないとは分かっている。Hiνガンダムのコックピットにいるのは、まだ年端もいかない少年なのだ。今飛び出したら危険だと言うショウの状況分析は正しいが、だから放っておいていいものではない。
 デビルガンダムの周囲には、醜悪な蛇を模した触手が蠢いていた。本来地球再生とは何の関係もない異物だ。今出て行けば、無差別に攻撃を仕掛けようとしているガンダムヘッドに、東方不敗自身も攻撃されてしまう。
 些細な過ちだ。防衛機能が過剰に作動しているにすぎない。
 ……たったそれだけのことで。
 危険だから? 命がかかっているから?
 ……たったそれだけのことで、地球の自然を取り戻す最後の手段を失っていいはずがない!!
 本来の目的とはかけ離れた姿が目の前にあるから? デビルガンダムの出した結論が、人類抹殺であるから……?
 ……たった、それだけのことだ。
 気高き夢が狂気に変貌していたことに、東方不敗は気がついていない。

 それは、まさに悪夢そのものの光景だった。
 デビルガンダムの中にいた兄が。ガンダムシュピーゲルを駆って共に戦い、励まし続けてくれたもう一人の兄が。
 自分自身の手で、その生涯の幕を閉じようとしている。
 やらなければならない。彼らの言葉は正しい。
 ここで失敗すれば、冷凍刑にかけられたままの父も、苦しみからの解放を訴えかける二人の兄も、苦戦を続けている仲間たちも、全ての犠牲が無駄になってしまう。
 石破天驚拳の光がゆっくりと進んでいく。まるで拷問の時間を少しでも長く味わわせようとする、運命の神の嗜虐的な悪戯のようにも感じ取れた。
 兄たちは微笑んでいた。
 満足げな死顔だった。
 それがなおいっそう、悲しみをつのらせる理由になった。
「兄さんッ……!! 兄さあああああ──────んッッ!!!!」
 叫びはもはや永遠に届くことはない。シュバルツは、キョウジ・カッシュは、死んでしまった。他ならぬ己自身の手によって。
 ……なぜこんなことになった。
 ……なぜ、こんなことのために拳を振るわなくてはならなくなった。
 デビルガンダムと、それを利用し、己のためにせんとした者たちへの怒りと憤りは、心を揺さぶり、激しく燃えたたせていった。

 ふらふらと噴煙に近づいていく足取りは、夢遊病者のそれであった。最強の武道家の面影は、そこにはない。
 抱きとめていた幼い手からは解放されていた。もはやガンダムから降りても危険はない。ガンダムヘッドが暴走する可能性は、皮肉なことに永久に失われてしまっていたからだ。
「ワシの…… ワシのデビルガンダムが……」
 肩は力なく戦慄き、目は虚空を彷徨うかのように、噴煙の立ち籠める巨穴を呆然と眺めていた。
 全ては終わった。地球の自然を再生させる夢も、完全に潰えてしまった。その認識を否定できないと悟ったとき、全身に行き渡った絶望感とやるせなさは、地獄の底から響くような呪詛の呟きを産んだ。
「許さんぞぉ……」
 肩の震えは、絶望から怒りに変わっていた。噴き上がる感情が全身を駆けめぐり、もはや夢のために振るうことはできなくなった地上最強の戦闘力を燃え上がらせていく。
「……許さんぞ!!」
 上体を反らし、血走らせた視線を送る。
 その激情の爆発だけで、並の者なら意識を飛ばしかねない殺気と闘気が辺りを駆け抜け、幕のように立ち上る噴煙を吹き飛ばす。
「ドモオオオオオ──────ン!!! 貴様は一体何をしたのか分かっているのかッ!!」
「うるさいッ!!」
 ドモンは一歩も引かなかった。彼の怒りもまた、東方不敗に引けを取らぬ気迫と力を呼び起こしていた。
「デビルガンダムを使って世界を我が物にせんと企む悪党がぁ!!」
「たわけが!!ワシがいつそんなものを欲しいと言ったッ!?」
 怒りのスーパーモードと呼んでいた頃の、無軌道で力を浪費するだけの感情の爆発ではない……かつてのそれを火山の爆発に例えるなら、今のドモンは煮えたぎる溶岩が濁流となって押し寄せる様にも似ていた。
 二人の狭間にあって、ショウはただ勢いに怯え、すくむしかなかった。圧倒的な力の激突を前に、他にできることは何もない。
「や……やめてよ、ドモンさん、おじいちゃんっ…… もう、デビルガンダムはいないんだよ?どうしてこれ以上戦わなくちゃいけないの……?」
 睨み合う両者に、震える声は届かない。全身から放たれる気迫がニュータイプへのプレッシャーと化して、怯懦の言葉など寄せ付る気配すらなかった。
 この期に及んで何を馬鹿なことを。二人は同様にそう思っていたが、ショウに答える声を聞いて初めて機体の向きを変えた。
『ショウ、二人を止めるな!』
「なにッ……!?」
「ぬぅ……?」
 Hiνガンダムに届けられた声は、戦艦のブリッジで戦況を見つめるマークのものだった。
「マークさん、どうして……?」
『我々の任務はデビルガンダムを倒すことまでだ。それが成し遂げられた以上、二人の勝負は第十三回ガンダムファイトの、正式な決勝戦ということになる。これは俺たちが立ち入っていいものではない……ショウ、邪魔にならない場所に下がって見ているんだ!』
 激情が吹き荒れる空間の中で、それは確かに正論だった。理でも情でも、もはや二人の激突を止めることはできない。
 これまでマークとは反目していた東方不敗も、この見解には唇の端を上げて返した。
「フン!軍人とはいえ、やはり戦場に身を置く者……男と男の戦いに対する、戦士としての礼儀はわきまえておったようだな!
 ショウ、下がっておれぃ!ワシとドモンの語らいに言葉は無用ぞ!!」
「おおっ、望むところだぁ!! ガンダムファイトォッ……!!」
 ゴッドガンダムが流派東方不敗の構えを演じ、背面のスラスターを全開にして突撃する。その突風と気迫に圧され、Hiνガンダムは数歩退いた。
「レディィィィ……!!」
 それを迎え撃つマスターガンダムもまた、漆黒の機体を宙に舞わせて、拳を正面から撃ち合わせていく。それは武闘家の戦いの正法とも言える、潔く堂々たる一撃である。
「「ゴ──────ッ!!!」」
 雄叫びをかき消す轟音と共に、天は震え、大地は揺れた。Hiνガンダムの数十トンの重量が、その場の圧力に押されてじりじりと退いていく。二人の拳の激突の瞬間……それこそが第十三回ガンダムファイト、最終決戦の始まりの瞬間だった。

「ネオ・ドイツ代表のガンダムファイター。
 ゲルマン流忍術の使い手である仮面の男。ドモン・カッシュの前に現れ、彼を助け、叱咤し、成長させた。
 その正体は、ドモンの兄キョウジが自分の分身としてDG細胞で作ったアンドロイドである。そして彼の目的は、弟ドモンを成長させ、彼の手によってデビルガンダム打倒を成し遂げることにあったのである。
 第13回大会の最終バトルロイヤルにデビルガンダムが出現すると、傷を押して出撃。デビルガンダムのコクピット内に飛び込み、その動きを一瞬止める。そしてためらうドモンを叱咤して攻撃させ、デビルガンダムもろとも消滅していった。
 愛機はガンダムシュピーゲル」
 航海日誌に新たな一項を書き加えると、ユリウスは顔を上げて静かに息を吐いた。そこには、普段の自信に溢れた少年らしい表情はない。愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶという格言を心の中でもう一度思い返す。それは崩れそうな持論を守るための、ささやかな抵抗だった。
「僕は……一体、何をしているんでしょうね……」
 戦いの歴史を見守り、綴ること……それが“ブラック・ジェネレーションズ”に課せられた本来の使命であったはずだ。ユリウスは未来世紀に来てから、モビルスーツ隊の指揮から離れて叙述に専念さえしていた。
 だが、ここに記された一文から、シュバルツ・ブルーダーという男の人生がいかなる輝きを放っていたか、後世の人が知ることは決してできないだろう。彼の生き様を心に残すことは、彼と共に生き、戦い、魂に触れることなくしては不可能だ。ユリウスは、歴史というものが持つ根本的な無力さを肌で感じていた。
「見続ければいいのさ。そして、彼らの戦いが俺たちに何かを与えてくれれば、何も無駄な事じゃない……。
 彼らにとっても、俺たちにとっても……」
 答えを返すマークは、ドモンと東方不敗の戦いをその目に焼き付けていた。
 艦長の椅子には、戦況の報告が次々と寄せられてくる。カチュアは危なげなく敵を撃破し、帰艦していた。クレアはDG細胞に感染したアレンビーを助け出した際に、体を密着させていたため、入院して治療するという連絡が入っていた。
 そして大破したゴッドガンダムを抱えて、チボデー・クロケットらがリーンホースJr.を訪れてきた。彼らはアキラを医務室に運び込むと、再び戦場に戻ると言う。
「君たちのガンダムも、もはや限界だ。こちらで修理する間に、我々と一緒にモニターで見ていればいい」
 ファイターたちは、即座に首を横に振った。
「それなら、俺たちは歩いてでも見に行くぜ?
 見ろ?かつての師匠と弟子が、死力を尽くして雌雄を決しようとしているんだ……」
 チボデーは不敵に笑った。まるで付近に爆撃を受けているかのように、艦は揺れ、中継ではない爆音がここまで届いている。
「聞こえますか? 美しくも悲しい、魂の響き……」
 ジョルジュの表情は、いくばくかの緊張感は浮かべているが、普段と変わらぬ笑顔である。ガンダムファイターに当然届くように、ニュータイプであるマークの心にも…… そんな力を持たないユリウスにさえ、ドモンと東方不敗の拳の衝撃は心に響き、伝わって来る。
「俺たちは、最後まで見届ける……!」
「なぜなら、これが……オイラたちが一年間夢見た光景だから!」
 アルゴもサイ・サイシーも、戦いの最中に見たどの瞬間よりも光り輝いて見えた。そんな彼らを止めることはできなかった。
 ファイターたちの後ろ姿を見送ると、マークは艦長の椅子に深く座り、腕組みをした。そして鋭い視線をモニターに向けた。

 見る者に感動さえ与える、拳と拳……
 空を切る疾さで、大地を割る威力で、ドモン・カッシュと東方不敗は戦い続けた。
「東方不敗マスターアジア!!覚悟ぉぉぉ──────ッ!!!」
 両の拳から放たれる連打は、かつてギアナ高地で師を大地に埋めたときより、さらに速度と威力を増している。だが、それでもなお、東方不敗という巨人を超えるには至らなかった。
 神速を受け止め、豪腕をいなし、マスターガンダムは一瞬で距離を取る。そして身の内から分身を生み出し、ゴッドガンダムに向けて解き放つ。
「フンッ……つけあがるな!秘技、十二王方牌───ッ!!」
 顔に、胸に、腹に、両手両脚に、あらゆる角度から回避する術のない一斉攻撃がドモンの全身に叩き込まれる。大地に叩き伏せられたドモンと間合いを取って、東方不敗は分身たちを機体に呼び戻した。
 そして、一度拳を下ろしてドモンに向き直る。
「どうだ! これほど痛めつけてもまだ貴様にはわからんのかぁ! この馬鹿弟子がぁぁッ!!」
「な……なにを……ッ!?」
「貴様も見たはず、ネオホンコンの裏の姿を!!世界がガンダムファイトとうつつをぬかしておる間にも、あのような場所が地球の至る所に広がっておる!!
 ローマを見なんだか……!? パリも!ロンドンも! 貴様の祖国、ネオジャパンの京都ですら、滅びの一途を辿っておるのを忘れたかぁ!!ドモンよ……貴様は地球の断末魔の光景を前に、何も学ばなんだのか!!」
 ドモンの脳裏に、石破天驚拳を伝授された旧市街の光景が甦った。無惨に崩壊し、打ち捨てられた廃墟。それを忘れてしまったかのように、新市街ではガンダムファイトの興奮と熱狂に包まれ、繁栄を浴している。
 それはネオホンコン一国ではなかった。ガンダムファイトで戦い歩いた、全ての国が同様の惨状を露呈していた。
 当然のことだ。富裕層は皆宇宙にコロニーを築いて移り住み、地球にいるのはそこから逃げ出せない人々……いや……
「ならば、地球をこんな目にあわせているのは誰かという事も気づくまい!!」
 ……避難民である。ガンダムファイトという名の、古今未曾有の大災害からの。
 そこに思い至ったとき、ドモンは愕然とした。この大地を破壊し尽くしている原因は、自分たちガンダムファイターだった……
「ワシはな、それに気づいた時、こんな地球の姿を傍観しておれんようになった。そこである誓いを立てた。何があろうと、この地球を自然の溢れる元の姿に戻してみせるとなぁ!!」
 そう、譫言にも言っていたことをショウは思い出した。それは確かに嘘ではないのだろう。
 東方不敗は決して悪い人ではない……そんな淡い期待を抱いて、ショウは言葉をかけた。
「それじゃあ、おじいちゃんはデビルガンダムを使って、地球を元通りに、人が暮らせるところにしようって……?」
「何を寝言をぬかしておるかぁ!!
 よいか!ワシの目的はな!この地球人類の抹殺なのだぞ────ッ!!」
 その想像を超えた答えにショウは驚き、ドモンも愕然とした。中継を聞いていた全ての者が、これは現実なのかと耳を疑った。
『マスターアジア!!貴様、デビルガンダムをそんなことのためにッ!』
 Hiνガンダムのスピーカーを通して、マーク・ギルダーの声が届く。東方不敗は不敵に笑うと、彼にも向けて言葉を続けた。
「貴様らもそこでよく聞いておくがよい! これこそ、デビルガンダムの意思なのだ!
 ドモンよ……デビルガンダムが元々は地球再生のために作られたものだという事は、シュバルツから聞いたであろう。だが、地球に落下したショックで異変が生じ、地球再生のための三大理論を飛躍させ、ある答えを導き出した。それこそが人類抹殺よ!!」
「でも……そんなのって……?」
「分からぬか……?地球を汚す人類そのものがいなければ、自然はおのずと蘇る!そして最強の力を持ったデビルガンダムさえいれば、もう誰も地球へ降りられなくなる!!」
 人類が地上から離れることによっての、自然の再生…… それは、かつてシャア・アズナブルが唱えた理想と同一のものであった。
 ただひとつ、シャアの思想と異なる点があるとすれば、それはもはや人類が母なる大地に降り立つことは、永久にかなわなくなってしまうということだ。
 東方不敗の目の前に、緑が満ち溢れた幻が広がる。空気は澄み、湖は日の光に輝き、小鳥が舞い、小動物は安らかな寝息を立てて……理想郷を守護するデビルガンダムは、悠然とその場に鎮座し続ける。それが今まさにその場にあるかのように、東方不敗は目を見開いて哄笑した。
「ははははははっ……ふははははははっ!! そうだ、それがいい!それが一番だ!!
 そのためならば人類など滅んでしまえ───っ!!! はぁーっはっはっはっはっはっ!!」
「し……師匠……?」
「おじいちゃん……」
 ドモンは、東方不敗が狂ってしまったのかと思った。一瞬、体中の力が抜けていく。東方不敗は周囲の全てが目に入らないかのように、ただ笑い続けていた。ために、戦いの主役である二人ともが、ショウが間に割って入るのを止められなかった。
「おじいちゃんは……勝手だよっ!!」
「ぬっ……?」
『ショウ……!』
 東方不敗さえ、少年の全身から迸る気に一瞬ひるんだ。マークもそれを制止できなかった。
「いつも大人は、自分が全部分かってるようなことを言って……!!
 地球の自然があぶないことなんて、小学生の僕だって知ってるよ……。こんな地球を誰かが変えなくちゃいけないことだって分かってるよ!でも、どうして、地球にいる人がみんな死ななきゃならないのさ!?
 僕たち子供は、まだ生まれたばっかりで……なんにもできないかもしれないけど、なんにもしてないんだよ!?
 僕よりちっちゃい子だって、まだ生まれてない命だって…… みんな、みんな殺しちゃうつもりなのっ、おじいちゃんっ!!」
 東方不敗は、言葉を失った。ショウが自分に対してこれほど強く言葉を言ったことはない。だが、少年の気迫よりもなお、無垢な命の重みを思い出したことで、最強の武術家の勢いは止まる。
(確かに……あんな幼子に何の罪もないはずだ……!いかに地球再生のためとは言え、巻き添えにしていいものではない……!)
 ショウが言葉を続ける前に、ドモンがそれを引き継いで立ち上がる。
「東方不敗……ショウの言うとおりだ……。
 あんたのやろうとしている事は、単なる人殺しに過ぎん!あんたは間違っているッ!!」
(そうか。正しいのは、奴らの方か。ならば……このワシの全力をもって壁となり、奴らに乗り越えさせてくれようぞ!)
(何を馬鹿なことを言っておるか……!事の正邪が明らかな以上、今からでも遅くはない。過ちを認めて、できることを探すべきではないのか!?)
 東方不敗の迷いとは逆に、ドモンは己の心を研ぎ澄ませていた。シュバルツ・ブルーダーの教え遺した、明鏡止水の力を解き放ち、機体を黄金の輝きに包み込んでいく。
「キング・オブ・ハートの名にかけて!!
 俺のこの手が真っ赤に燃える!!勝利を掴めと轟き叫ぶぅぅッ!!」
 ゴッドガンダムは、これまでに培った全ての力を右手に込めて猛然と突撃した。それに対し、東方不敗は心の備えさえできていない。
(だが、この体はもう長くは持たぬ……!それならば若き者共を鍛え抜き、志を継がせた方が賢明ではないか……?)
(弟子に過ちを認めるのが怖いのかッ!!戦いの中で死んだという、武術家の称号が欲しいのかッ!!この愚か者がぁぁッ!!)
 理知と情動が、善性と誇りが、東方不敗の中で戦い続けた。だが、その時間はあまりに短く、決着を付けるまでには至らなかった。ドモンの拳が目の前に迫っている状況では、迷っている暇などありようもなかった。
「……だからお前はアホなのだ───っ!!!」
 己自身に憤りを叫び、マスターガンダムの全身から闘気を解き放つ。そしてその汚れた名とは正反対の、黄金に輝く拳を天に掲げた。
「ダァァァァァクネス!!!」
「ゴォォォォォッドォ!!!」
「「フィンガァァァァァァ─────────ッ!!!!」」
 巨大な衝撃波を浴び、Hiνガンダムが大きく揺れた。その場に踏みとどまるためだけに、ショウの機体にもニュータイプのオーラが纏われる。
 その闘気と意志の爆発の中で、ドモンは感じていた。拳から深い悲しみが伝わってくる。東方不敗の拳が、心が泣いている!
「何がガンダムファイトだ!! 何が理想的な戦争よ───ッ!!!
 我が身を痛めぬ勝利が何をもたらす!! 所詮はただのゲームぞ!!」
 最強のキング・オブ・ハートと謳われながら、己の手で世界を破壊していた悲しみ……それが拳を通して、ドモンの心に流れ込んでいく。それはドモンの心を震わせ、さらに強く大きく拳を鍛え上げていく。
「俺の心に、悲しみが響く……! そうだ……己の拳は、己の魂を表現するものだと教えてくれたのはこの人だ……!!
 ならば……これが東方不敗の、魂の叫びなのか……!! ……ンンッ!?」
「ぬうっ、これは……!?」
 不意に周囲の風景が変貌した。これまでにも見た、宇宙の光景……だがそこには戦う者の姿はなく、浮いているのは彼ら三人だけだ。
 一瞬の奇跡が終わると、ドモンも東方不敗も、彼らを取り巻く全てが変わっていることに気がついた。彼らの戦いを見守るショウの心も、中継を通して固唾を飲んでいる人々の心も……いまや、己の事のように認識できた。

「ん……。あ、んっ……」
 軽くうめき声をあげ、クレアは瞳を開いた。運ばれた病院のベッドの上だ。
「気がついた?」
 横から、アレンビーのはっきりした声が呼びかける。DG細胞を除去する手術を終えて、彼女の体には包帯がいくつも巻かれていた。
「アレンビーにも分かる?」
「うん。ドモンとマスターが戦ってる…… けど、この感じ……?」
 クレアは黙って、アレンビーと手を重ね合わせた。ここでも、ガンダムファイターとニュータイプが心をひとつにした。

 ランタオ島に巨大な竜巻が起こっていた。
 天にも届かんとするその威容、付近の全てを打ち砕く暴風…… それが、たった二人のファイターが駆け抜けた跡だとは、誰にも想像すらできないであろう。
 ショウが天を見上げると、竜巻の半ばにドモンと東方不敗の顔が見えたような気がした。
 超級覇王電影弾……数百のデスアーミーを濁流のごとく飲み干した大技の激突は、二人のファイターを天に押し上げ、なおその場において戦いを続けさせていた。
 天空の高みに登り、拳を叩きつけあう弟子と師匠は、己を取り巻く世界の全てを、手に取るように把握していた。
「東方不敗ッ!この感覚は一体何だッ!? スーパーモードでも、明鏡止水でもない、これは……!!」
「フン!これがすなわち、己の心を天地の全てと合一化する……ニュータイプどもの認識力というやつかッ!!
 今や我らは、ショウの心を通じて同じ感覚を共有しておる!!」
「ああ、感じるぞ……!! チボデー、ジョルジュ、アルゴ、サイ・サイシー……!それにレインもアレンビーも、世界中の人たちが、俺たちの戦いを見守っている!!」
「“ブラック・ジェネレーションズ”の者共も……かつて奴らが戦い抜いた、戦争を続ける世の輩の目すら感じるわ……!
 ならばッ!!」
 東方不敗はドモンの拳を握ると、その意志を叩き込むがごとくに叫んだ。
「ドモンよ!このワシの悲しみが、今こそ分かるであろうッ!! これは償いなのだ……!犯した罪は、償わなければならぬ!!
 宇宙に浮かぶ大地、森、山、そして湖!全てが偽物の世界の中で生きている事も気づかぬ愚か者どもから、この地球を取り戻す!!」
「……いや、分からんなぁっ!!」
 ドモンは強く手を振り、東方不敗を突き放した。そして再び大地に降り立つと、己のいるべき場所はそこでしかないかのように、両脚を強く踏みしめる。東方不敗の着地を待って、強く静かに言葉を続けた。
「……なぜならば、あんたが抹殺しようとする人類もまた、天然、自然の中から生まれたもの……いわばこの地球の一部。
 それを忘れて、何が自然の、地球の再生だ!! そう、共に生き続ける人類を抹殺しての理想郷など、愚の骨頂ッ!!!!」
 東方不敗は、完全に言葉を失った。
 目の前に立ちはだかるドモンがとてつもなく大きく見えた。ショウの幼い視線が足下に絡みつき、奮う力を奪っていった。
 そして一瞬、笑みを浮かべた。
「フン…… ならばワシが正しいか、お前たちが正しいか…… 決着をつけてくれるわぁぁッ!!!」
 再び拳に力を込めて、黄金の機体に構えを取らせていく。
「おおっ!! キング・オブ・ハートの名にかけてぇぇ!!」
 ドモンも、同様に拳を構えていった。
 二人の間には、もはや交わす言葉はない。あらゆる拳を尽くして戦い抜き、そして勝敗は決し得なかった。
 ならば……残る拳は、ただひとつ。
 ショウはその心を繋ぎ止め、あまねく天地に届けていった。それは二人の拳の熱さを、小さな手に焼き付けていく事と同義であった。

 リーンホースJr.のブリッジに、体を引きずるようにして一人の男が現れた。食い入るようにモニターを見ていた一同の目が、赤い髪をまとめた鉢巻きに移る。
「アキラ!?」
「駄目よ、寝ていなければ……」
 名を呼ばれた男は、体中の包帯をうっとおしそうに巻き直し、モニターに両手をついて体を支える。
「いや……俺は死んでも、この勝負だけは見届けるぜ…… この瞬間を見るために、俺はここまで旅を続けてきたんだからな……」
 マークもエリスも、ユリウスさえも……彼を止めることはできなかった。たとえ、この場所が彼の旅路の終着点になるのだとしても、アキラの表情はあまりにも満足感に満ちていたからだ。
「ドモン、頑張れ…… これこそガンダムファイトだ……!!」
 朦朧とした意識の先で、黄金に輝くガンダムが闘気の塊を練り上げていた。

「流派ああ……!!」
「東方不敗がぁ……!!」
 大地が砕け、その破片がゆっくりと上昇していく。二人の闘気は、今や何者にも止める術はない。

 その破壊力を計測していたマリアが、警告を発した。
「推定攻撃値、三万五千に達しました……。信じられません……アキラさんが同じ技を使っても、一万五千くらいですよ……」
「もはや戦術級の威力ですね。あと少しで核兵器に追いつきますよ。
 流派東方不敗、ですか……モビルトレースシステム自体に、何らかの影響を与え得るのでしょうか?」
 ユリウスの言葉は静かだが、表情には笑みさえ浮かんでいた。あれだけ未来世紀を嫌っていたこの少年の心にさえ、二人の戦いは感銘と、そして憧憬を呼び起こしていたのである。
「ビームシールド、全出力で展開ッ!! 余波だけで艦が吹き飛ばされかねんぞ!!」
 マークの号令が下ると、残り少ない力の全てを込めて、光の障壁がブリッジを守る。
 それでも、ガンダムファイトにはミノフスキー粒子というものがない。Hiνガンダムから送られてくる映像をその目に焼き付け、全世界に彼らの熱き戦いを届けるには、十分である。

「最終ぅぅ……!!」
「奥義ぃぃ……!!」
 黄金の両機の拳には、宇宙世紀のいかなるモビルスーツも持ち得ぬ莫大な力が秘められていた。運命の時まで、残り数秒。

「来るぞ────ッ!!」
 徒歩で戦場に赴き、ドモンの戦いを見守っていたチボデーたちの眼前で、光が巨大に膨れあがっていく。
 だが、彼らは退くつもりも、見逃すつもりもない。友の勝利を目にするまでは、死の危険など目に入るはずもないのだから。その光景を胸に焦がし、シャッフルの紋章を握りしめ、彼らは雄々しく勇敢に踏みとどまった。

 そして全ての想いを巻き込み、ひとつに集約し、二人の拳は爆発した。
「石ッ!!!」
「破ぁ!!!」
「「天ッッッ!!驚ぉぉぉ!!けえええええぇぇぇぇぇ─────────んッ!!!!!」」
 ゴッドガンダムの両腕から、全身よりもなお巨大な黄金の闘気が撃ち出される。一瞬遅れてマスターガンダムの掌からも互角の気弾が放たれる。それは両者の中央で激突し、天地を揺るがす大爆発を巻き起こした。
 付近の小島を津波が襲った。海の向こうで地震が起こった。地球の裏側で子供が飛び起きた。
 そして見た……全世界の命運を賭けたガンダムファイトの、最後の激突を。この戦いの勝者こそが、全てのファイター達の頂点に立つガンダム・ザ・ガンダムの称号を得、彼らの国は世界の覇者としてあらゆる権力を欲しいままにする。それにはデビルガンダムの再生さえも含まれるであろう。
 だが、二人の勝負の意味はそれだけではなかった。
 ここまで勝ち上がってくるまでの、友との出会い、強敵との戦い、レインとの愛、シュバルツの教え、キョウジの死……一年間の戦いの全てを一心に託したドモンの拳。
 崩壊していく自然への嘆き、シャッフル同盟の任にありながら己の手で破壊を早めていた自身への悔い、そしてデビルガンダムの出会いとそれに見た最後の希望、それらを一撃に込めた東方不敗の拳。
 それが実況を加えた……この光景を語る言葉など余人にあるはずもなく、無言で結果を待つばかりであったが……映像と音声ばかりでなく、心を直接揺さぶる魂の衝撃波が、全世界の人々に届いていた。
「ぬぁぁぁはははははははッ!!!」
 東方不敗の拳から放たれる光が、ドモンのそれを少しずつ押しのけ、進んでいく。じりじりと押されるドモンもまた、全力で闘気を放ち続けていたにもかかわらず。
「どうした、そこまでか!!貴様の力など、所詮はそこまでのものに過ぎんのかぁ!!それでもキング・オブ・ハートかぁッ!!」
 東方不敗は激しく叫んだ。世界の全てがこの戦いに手を握る中で、ただ一人、その言葉に不甲斐ない弟子を叱る意味だけではない事を悟った声が届く。
(もういいよ……!もう、やめてよ!おじいちゃんっ!!)
(ショウ……か……?)
 この激突の最中に、あまりに小さな声は誰にも聞こえなかったのかもしれない。東方不敗は、心の中でその声を認識し、答えを返していた。
(もう、取り返しのつかないところまで来ちゃったから……ドモンさんに自分を超えてもらって、後を継いでもらおうと思ってるんでしょう? そんなの、そんなのダメだよ!!)
(……………………)
 東方不敗は答えなかった。無理な否定など何になろう。心を繋ぎひとつにするニュータイプの力の前に、嘘偽りなど何の意味もない。
 それに対する意志を、さらに拳に乗せてドモンに放つ。もはや完全にドモンを圧倒した石破天驚拳は、ゴッドガンダムの目前にまで勢いを増して迫っていた。
「足をふんばり、腰を入れんかぁ!! そんな事では、悪党のワシ一人倒せんぞ!この馬鹿弟子がぁぁ──────ッ!!!」
(おじいちゃん……)
 ショウはまだ、語りかけることをあきらめなかった。
(前にね……おじいちゃんと同じ事をしようとした人が、いたんだよ……)
 少年の記憶が脳裏に流れ込む。ア・バオア・クーで、共に未来を創ろうと差し伸べられた手を。ダカールの議会で、地球の自然を守るためにも人類はニュータイプにならねばならないと説いた姿を。そして流れゆくアクシズの中で、ララァ・スンに抱かれて去っていった生命の最後の輝きを……
(こやつが……ワシと同じ、地球の再生を目論み…… かえって世界を滅ぼそうと……)
(僕は、最後まで呼んだんだよ……でも、帰ってきてくれなかったんだ……)
(………………。悪い、大人じゃな……ワシもこやつも……)
(ここでおじいちゃんが死んでも、なんにもならないんだよ…… ただ、悲しむ人が増えるだけじゃないか……!!)
 東方不敗は、その言葉を誰よりも嬉しく受け取った。だからこそ、あの時の赤い彗星と同じく、誰もが望まぬ道を選んだ。
 ゴッドガンダムを完全に闘気流で掴み、押し潰さんばかりに圧し尽くしていく。ドモンは激痛に叫び、片足をくずおれた。
「何をしておる! 自ら膝をつくなど、勝負を捨てた者のする事ぞ!!
 立てッ!!立ってみせぇぇ──────い!!」
「うるさいッ……! 今日こそ、俺はあんたを超えてみせるッ!!! でりゃあああああ──────ッ!!!」
 ドモンが立ち上がった。体を包み込んだ東方不敗の闘気を跳ね退け、全身からさらなる波動を噴き上げ、解き放つ。
 それを押し返せないと悟った東方不敗は、心の中で快哉を叫んだ。己の命を絶つ閃光を前に、キョウジとシュバルツの見せた微笑みの意図が手に取るように分かる。
(……すまんな、ショウ…… 所詮ワシらはニュータイプにはなれん。拳を合わせねば己の心を通じ合わせぬ、不器用な生き物ぞ……)
(おじいちゃんは…… おじいちゃんは、勝手だよぉ!!おじいちゃんの馬鹿ぁ!!)
(お前の言うとおりじゃよ……自然の崩壊も戦争の悲劇も、おぬしら子供には何の罪もない。こんな愚かしい世界しかワシらは残してやることができなんだ…… ワシら愚かな大人を……許してくれ……)
 その思いを最後に、マスターガンダムにドモンの石破天驚拳が炸裂する。全身を引き裂かれる激痛を共有し、ショウは絶叫を上げた。
 マスターガンダムを覆う黄金の鎧が弾け飛ぶ。無防備な機体を守るものはもはやなにもない。
「今だぁぁぁ───ッ!!」
 チボデー・クロケットの手に、クィーン・ザ・スペードの紋章が灯る。
 ドモンの耳にレインとアレンビーの祈る声が聞こえる。
「ドモォォォ───ン!!」
 ジョルジュ・ド・サンドは、己の誇りではなく、他者の勝利をジャック・イン・ダイヤに願った。
 友たちの手に輝くシャッフルの紋章の力が、キング・オブ・ハートに流れ込む。
「止めをぉぉ───ッ!!」
 サイ・サイシーの絶叫がはっきりと聞こえる。クラブ・エースの輝きも見える。
 亡き兄たちの遺した明鏡止水の境地が、今この瞬間も惑わず、ためらわずに拳を振るわせてくれる。
「撃てぇぇぇ───ッ!!」
 アルゴ・ガルスキーの手にあるのは、切り札の意を持つブラック・ジョーカーである。
 その名に違わぬ必殺技に、師から受け継いだ全てを込めて、ドモンは最強最大の拳を解き放った。
「愛とぉ!!勇気とぉ!!悲しみのぉぉぉ……ッ!!!
 石破天驚ッッ!!!ゴオオオオオッドォッ!!!フィンガアアアアア────────────ッッッ!!!!!」
 ガンダムよりも巨大な拳が、東方不敗の体を捕らえきった。マスターガンダムが軋み、歪んだ。この莫大なエネルギーの中で生き残る事は、最強の武道家マスターアジアをもってすら、完全に不可能な一撃だった。
「ヒィィィィトオオッ!!エエエ────────ン……」
「よぉし……」
「……何ッ!?」
 師匠の安堵の声を聞き、初めてドモンは気付いた。東方不敗は、微笑んでいた。肉体も精神も吹き飛ばすような衝撃の中で。人類という生物は、これほどに穏やかな表情を作ることができるものなのか……そうとさえ思える、安らぎに満ちた笑顔だった。
 ショウが泣いていることも分かった。この子は自分よりもずっと前から、東方不敗の真意を悟っていたのだろう。
(師匠……!? 俺は……俺は……!!)
(ドモン……よくぞやった。お前はワシの力も、悲しみも、過ちも乗り越えてくれた……。
 もはやお前がワシに劣るところは何一つとてない。今こそ、お前は本物のキング・オブ・ハートぞ……!!)
 東方不敗の手には、ドモンと同じ光が宿されていた。その絆こそが両者を支え、今日まで戦い抜く最大の原動力だったはずだ。
「師匠!!師匠ッッ!!」
 呼ぶ声に返るものは、何もなかった。エネルギーの大爆発を止める暇もなかった。
 閃光と爆音が辺りを埋め尽くす。ドモンの瞳から涙が流れ出し、その前には東方不敗との記憶が溢れかえらんばかりに流れていく。
 優しかった師匠が。強かった師匠が。頼もしかった師匠が。鍛え育んでくれた師匠が。拳で語ることを教えてくれた師匠が。共に戦った師匠が。拳を交え続けた師匠が……
「師匠ぉぉッ!! ……しぃぃしょおおおおおおおお───────────────ッッッ!!!!!」
 ドモンの絶叫は天にも届いた。それを見た全ての人は、東方不敗マスターアジアという人物がいかに偉大な、不世出の英雄であるのか心の奥底に刻み込んだ。だが……
 その叫びが、虚空に遠く消え去ったとき。
 ドモン・カッシュの前にあったのは、無惨に打ち砕かれ、もはや二度と動くことのないマスターガンダムの残骸だった。

 名を呼ばれたような気がして、東方不敗は力なく目を開いた。夢を見ていたようだった。
 全身の苦痛は和らいでいた。代わりに、力が入らなかった。感覚自体が消え失せていた。
 自身の死を悟ると、抱きかかえている弟子に静かに呼びかける。
「なあ、ドモン……お前には教えられたよ……」
 それは、最強の武術家の遺言となろうことは、誰の目にも明かであった。ドモンは涙をこらえるだけで、精魂の全てを使い尽くしていた。明鏡止水など何の役にも立たなかった。
「人類もまた自然の一部……それを抹殺するなど、自然を破壊するも同じ……。
 ワシはまた、同じ過ちを繰り返すところであった……」
 体に顔をうつぶせ、幼い顔が泣きはらしていた。ショウの頭を優しく包み、撫でていく。その姿を間近に見据え、ドモンは去りゆく恩師にいかなる言葉をかければいいのか、幾度となく逡巡し、そしてその答えを出した。
「師匠ッ……!!」
 短く、しかし万感の意を込めたその言葉に、東方不敗は深く息を吐いた。
「ワシをまた師匠と呼んでくれるのか……」
 これでいつでもあの世に行ける。その言葉が後に続いても何の不思議もない、安堵に満ちたつぶやきだった。
 ドモンは堰を切ったように言葉を続けた。もはや残された時間はほとんどないのだ。
「俺は今の今になって、初めて師匠の悲しみを知った……。なのに俺は、あんたと張り合うことだけを考えていて、話を聞こうともしなかった……!なのにあんたは最後まで俺の事を……!!」
 劣るところは何もないと告げられた。過ちを乗り越えたと賞賛された。
 だが、それが本当にそうだとはドモンにはどうしても思えなかった。
「何を言う。所詮ワシは大罪人よ……」
 互いに自責の念を告白し、師弟の心は、ガンダムファイターの拳にも、ニュータイプの力にも頼ることなく、完全に一つとなった。
 そして体を赤裸に晒し、最後の志操を訴えかける。
「だがな、見てくれ…… ワシの身体は一片たりとも、DG細胞に冒されてはおらん……」
「分かっていた……分かっていたのに!!」
 マスターガンダムを操りながら、それは奇跡に等しい行いである。だがそれさえも、東方不敗のあまりの痩せ衰えように比すれば、卑小なことにも思えるほどだ。こんな体で戦い続け、そしてあの強さを維持していた。その事実を目の当たりにした者たちは、もはや己の想像をはるかに超えた偉人の声に、黙って頭を垂れるしかなかった。
「おじいちゃん……」
 ショウは顔を上げ、その眼差しを見た。あまりにも清らかな、死後に向かうのは天国なのだと信じざるを得ない涼やかな瞳。
「ショウ……おぬしには、すまなんだな……。
 もしもワシらが拳によらず、おぬしのように心で感じ合うことができたなら……。こんな……こんな事にはならなんだのにな……」
 幼子を抱く手に、陽光の温かみが感じ取れた。水平線の彼方から日が昇りかけている。一昼夜に及ぶ激戦は、死にゆく東方不敗に日の出の輝きをもたらすに至ったのである。
 それは聖者と咎人を分かたず、人類普遍の光景だった。天地開闢の以来、幾万の詩人が幾億の言葉を連ねてそれを讃えてきただろう。だが、東方不敗は誰よりも短い言葉で、そこに込められた全てをこの上なく明確に表現した。
「美しいな……」
 ドモンは涙が止まらなかった。
 東方不敗は、ただこの光景を守りたかっただけなのだ。そこに何の邪心があっただろう。
 どこで歯車が狂い、なぜこんな結果になってしまったのか、彼には答えが出せなかった。ために、震える声で、同じ答えに到達した。
「はい……とても美しゅうございます……!!」
 東方不敗は、その答えに深く満足した。
 もはやこの世に残したことは、なにもない。辞世の言葉は決めている。
 ならばと弟子を促し、拳に最後の力を込める。そして、詠った。
「「流派ぁぁ!!!東方不敗は王者の風よ!!
 全新……系列……ッ!!
 天破侠乱ッ……!!
 見よぉぉ!!東方は、赤く燃えているぅぅぅぅぅっ!!!!!」」
 今生最後の詩吟を終えて、東方不敗は弟子の腕の中に体を委ねた。
 体温が急速に失われていく。心臓の鼓動も停止している。
「おじいちゃんっ……おじいちゃん!!」
「師匠ッ!! 師匠─────────ッッ!!!」
 ショウの涙にもドモンの叫びにも、もはや答えは返らなかった。
 そして弟子たちの涙と慟哭の中で、かつての友たちに迎えられ、黒歴史最強の戦士は神の国へと旅立ったのである。


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