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第二章;「猫も寝起きは声が掠れる」


 寝たら起きた。窓を開けると誰かがトランペットを吹く音が聴こえた。それは妙に間の抜けたような、諦めたような音で、要するに再び眠くなるような音だった。隣の部屋からはギターの音が聴こえてくる。隣の部屋は髪の長い男と情婦みたいな年の離れた女が住んでいて、男は深夜になると部屋にやってくる。もしかしたら単に夫婦なのかも知れない。引っ越した当初、挨拶に足を運んだところ、後日ウイスキーボンボンを持って挨拶に来た。全く目を合わせず、長い髪の男は箱をこちらに差し出して会釈をし、それからすぐに消えた。女は廊下ですれ違っても俯いたままだ(この間挨拶をしたら無言だった)。──妙な二人だ。

 深夜、嘔吐を繰り返す。何か悪いものでも食べたかなあと、ぐったりと廊下に横たわる。洗面所に立って顔を見たら顔面蒼白だった。まあ、こんな日もあるし、と諦めてソファに寝転がる。またウイルスにやられたんだろうか。原因が判らないので薬を飲むのは止めた。痛みでさっぱり眠れないので読書でもしようと考え、取り敢えず三冊本棚から選ぶ。友達がメールで「セリーヌを読んだ貴君ならわかってくれるはず。『夜の果ての旅』に比べれば読みやすいし。“徒刑囚の服の色は、薔薇の花を思わせる。"みたいな濃厚で激ヤバな書き出しから、ノンケのおれでもザワザワするようなシーンがテンコ盛り」と薦めていたジュネの『泥棒日記』、それから埃の被ったニーチェとゾラを手に取ってパラパラと捲る。あとは適当に目についた『歎異抄』とか泉鏡花など。深夜に読む本を選ぶ作業はとても愉しいものだ。

 ところで、哲学書は学生時代に読もうと(──というか哲学科に進もうと考え、高校の担任に“食えないからやめとけ"と窘められた)していた事があった。それから、人は二十代では自分なりの哲学を模索する段階なんだろう思い直し、五十歳くらいになって漸く読むものなのかもなあと考え直したのだった。二十歳頃に哲学に傾倒したら、何というかそのまま呑まれてしまうんじゃないかと、十八歳の頃の自分はそう思ったのだ。この部屋の本棚は同居人との連携で一生困らない量の本があり、何か読みたくなった時に図書館代わりとなる。別に本なんか一冊もなくとも困ることはない(=腹も膨れない)のだが、それは日に日に増殖する。「いつか本に埋もれて死ぬな」と地震のある度に溜息をつくものの、今日もまた新しい本が15冊ほどテーブルに載っているのを観た。

 午後、何か腹に入れようと中華粥を作る。鶏ガラスープに生姜、ネギ、小海老、たまご、それからナンプラーを入れて仕上げた。美味い。市販の風邪薬なんかよりよっぽど効きそうだ。ボリス・ヴィアンの『日々の泡』で料理人が“おぞましい飲み物"で二日酔いだとか極度の疲労みたいなのを帳消しにするシーンがあるが、この粥もそれに匹敵するんじゃないかと思った。──台所に立っていたら、猫が匂いにつられてやってきて、こちらを見上げてやけに掠れた声で啼いていた。猫も寝起きは声が掠れるのかとちょっとおかしくなった。
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